『模試埼玉県1位、中高6年間オール5、校内マラソン5位』を生み出す教育はなぜダメなのか。
自己紹介を兼ねて
こんにちは!だーらです。
しっかりとした内容に入るのは今回が初めて。
ということで、僕が今まで頑張った(とは一概に言えない、と言うのが結論)ことを紹介します!(ちょっとboasting だけど許してね💦)
結論を先に言うと
「僕のような人間が過大評価される日本の義務教育は、イケてない。というか、時代遅れ。」
となります。
文武両道、優秀(?)な生徒!
自分でいうのもなんですが、よく頑張っていたんです。
ここからしばらく自慢に聞こえるので、ご容赦を。
でもこの経歴こそ、イケてないな~と僕は今思っているのです。
公立小⇒公立中⇒(受験)⇒公立高⇒(受験)⇒国立大
というパスを進んだ僕は、日本の中でもかなり「費用対学歴」が高いんじゃないですか?しかも高校の時予備校行ってないし!
中高6年間オール5でした!!
厳密に言うと、「学年評定が」なんですけどね笑
高校1年1学期の「情報」、高校2年1学期の「体育」「保健」が4でした。(保健は性に関する分野だったんだけどな…??笑)
それ以外は全部5!! お疲れ!
高校受験に向けて、埼玉県の公立中に在籍する中3生のほとんどは「北辰テスト」という模試を受けます。
そこで、5万人中1位!!
まあね、本当に勉強のできる人は中高一貫校に行っているので、同じ土俵の上にいないのですが。(全国模試でもないのに何イキってんの??みたいに思う人いるのかな~こわい…)
しかも!運動も頑張ってました!
小4から高3まで、そんなにうまくなかったんだけど、バスケを続けて。
持久走が得意で、高3春の全校マラソン大会では、校内約1000人中5位!
秋の50kmマラソン大会でも、8位!
体育の授業で課される40分間走も、クラスで1番速かったし、1番頑張っていた、気がします。先生が出張で見ていない日もね。
ちなみに、これはよくある
「受験が目標だったけど、合格して目標を見失い、腑抜けな人間になった」
という話ではありません!✨
大学でも例によって「真面目に」授業を受け、前期教養課程の成績は、
優良可みたいな話で言えば、優秀、だったんじゃないですか?
テントリムシ、ぷ~~ん
日本で最も規格化された人間になりました。
そんなわけで、中等・高等教育という枠組みの中で、僕は高い評価を受けました。
枠の中で、僕は最大限膨張しようと努力し、決してその枠組みからは出ない様にした。
その結果、よく規格化されました。おめでとう。
で、君は何が際立って好きで、得意なの?…(僕)えっ?
大学で数年間生きると、枠組みから解放されてゆきます。
自分で問題を見つけてください。…う~ん
オタク的専門知識はあるかい?…う~ん
…そんなこと、今まで全然取り組んでないんだよな~
ってかむしろ
頑張って取り組まないようにしていたんだ!!
と言うのが、正直な気持ちですわ。
…え?なんで?
中高で評価されるためには、「自分を殺し」「効率性を高める」ことが最短経路
高校生のときとか特に、時間がなかったですね。
通学は片道1時間20分。部活は県ベスト8のバスケ部。大量に出される予習課題。
のんきに生きていたら、ついていけなくなる。
そこで求められることは、
「自分を殺し」「効率性を高める」
ことでした。
電車の中では、教科書を読みます。そこまでは良い。
が、教科書の一文一文について、疑うことをしない。疑うことをせず、まんま吸収した方が、圧倒的に効率が良かったのです。スポンジになれおれ~!!と。
持久走とか、冷静に頑張る意味とかを考えたことがない。頑張ることが絶対美であったから。頑張る意味とか考え始めちゃった時点で、苦しくなって、評価される道から出ちゃうかもしれないから。
学園祭を見るために、池袋から本郷三丁目まで丸の内線にのる。
丸の内線と、JR在来線の線路幅が違うな~とか思っても、それをネットで調べる暇があったら、古文単語帳を読んでいた方が、明日のテストのためになる。興味を押し殺す。
(ちなみに丸の内線は1435mm、JRは1076mm)
学校では、評価されます。古文単語小テストでは満点が来ます。
線路幅への疑問は、いつしか自分の中から消える。興味は、抑圧され、消えてゆきます。
それが、最も枠組みの中で評価されることへの近道なのです。
ちょっと脱線すると、大学に入って意外なことがありました。
意外と、自由に生きてきて、受験も突破した、
規格化されていない東大生
が多いこと。
この原因は何なんだろうな~。中高一貫で、6年間ゆっくり勉強できることとか関係あるのかな?
まあおれが、よく言えばくそ真面目だっただけか。(「悪く言えば」、は言わないでいいや笑)
線路に戻ります。
時代は進む。求められる人材は変わる。教育の変化は、少しそれより遅かったようだ。
規格化された人間は、労働力としては、それなりに使えます。
高度経済成長期はそれでよかった、みたいな話ありますよね。
でも、今は違う。
それは、僕がインターン生としてベンチャー企業で少しお手伝いをした経験や、興味を追い求めた学生が多い学科で学ぶ中で気づきました。
企業では、仮説を立て、検証(いわゆるPDCAを回す)をしていきます。
問題は自分で見つけ、仮説を自ら立て、検証する。そこに教科書はありません。
学科では、専門分野に関して、もともとから深い知識を持った人が多いし、自ら問題意識を持つ人が多い。絶対普通に教育を受ける以外の仕方で頑張ったんだろうなと。興味を自由に追い求めたんだろうな、あるいはちょっと「不真面目」な学生だったのかな、と。
1限に出てこなかったり、第二外国語で手を抜いたり、学校教育的には「不真面目」に見える人の方がむしろ、キレがありますよね。
だから僕も教育も変わらないと!
そんなこんなで、教育に関しては文句もあるものの、僕自身も代わる必要があるということに関しては痛感しておりまして、
気になったことはすぐ調べたり、
答えの無い問題に取り組むようにしています。(ってかこれは当たり前なんだけどね、若干のストレスや慣れていなさを感じつつやらなきゃいけないところが痛いですね。)
日本教育が変わるべきというのは、本当にそうで、カリキュラムもそうだけど、
根本的にもっと自由に
なるべきだと思いますね。
評価軸を幅広く持つ
ことが教育現場には求められますね。とはいえ、大学受験が変わらないと実質的には意味ないんで、そこの改革はやはり必要だと感じています。
以上!終了!
絶対語り切れてない!
あ、最後に言うと、
にしても枠組みの中で努力できることも、悪いことではない、
ことだとは思っています。
以上、本日のテーマは
「丸の内線とJR在来線の線路幅の違いについて」
でした!またよろしくです!!
(追伸)
こんな僕ですが、2019.8に起業して今は長期インターン口コミサイトを作ってます!