da-ra’s blog

読む人に、少しでも何か与えられたら

僕の将来の話をしよう!

こんにちは!だーらです。

本日は、自分の決断をまとめたいと思います。

 

渡る世間は 僕の将来に興味のない人 ばかり

 

だとは思いますが、来年学校からいなくなったりするかもしれないので、一応報告まで…笑

 

人生で一番悩んだ末、一番の親友に決断を告げ、電話終了後の深夜12時からつらつら書き始めています。

 

 

題して

僕の将来の話をしよう!

はじまりはじまり〜

 

f:id:Da-ra:20181217022021j:plain

 

 

 

 

こーち!

僕の人生が変わったのは、彼と出会ってから。笑

「起業したい!」「サービスを作りたい!」とか、彼と出会うまでは微塵も思ったことはありませんでした。

彼と出会ってからもしばらくは、インスパイアされず。

「一緒に起業しようぜ!!」とずーーっと言われてもなお、「いや…」という感じでした。

 

 

それが変わり始めたのは、今年(2018)の8月。

2人で合宿しようぜ!!!ということで、群馬県草津まで旅行に行きました。

草津まできて、宿の部屋にこもり、ブレスト、ブレスト、ブレスト。

 

 

煮詰まった僕たちは、湯畑を歩きながら、

「女の子お持ち帰りできる店が一軒だけあるらしいんだけど、どこかな〜?」

と、宿のおっちゃんから聞いた僅かな情報を頼りに、温泉街を歩いたりしていました。

 

f:id:Da-ra:20181217022155j:plain

 

…それはいいとして、

そのとき初めて、ビジネスアイデアを本気で考え始めたのです。

 

 

合宿中には結局、これ!というものを決めることができませんでしたが、その後もしばらく考え続け、9月11日ごろ、「これで走り始めるか!!」というアイデアが一つ定まりました。

 

そのサービスが、僕のキャリア設計、僕とこーちの関係性に大きな影響を与えることとなります。

 

 

 

 

 

一生このサービスは世の中に出せないってこと??

 

そのサービスは、「電車」に関するサービスです。

事業内容に関しては、誰も盗まないと知りつつも今はここで公開するのはやめるか〜笑、と思ったので明言はまだしないことにしますが、

僕が毎日の通学で感じる課題を解決できるものでした。

 

僕が電車が好きだった、ということもあるかもしれませんが、

これ、めちゃ作りたい!!!!

と、燃え上がる火が心の中に灯ったのです。

 

 

しかしここで、一生つきまとうであろう大きな問題に直面します。

 

それは、

事業内容への共感

です。

 

今回の例で言えば、このサービスは僕が思いついたものでした。

そして、人はやはり自分が思いついたアイデアが可愛いし、他人のアイデアへは自分のものほどの熱をかけられないものです。

 

こーちは、このサービスに関して、それほど熱はありませんでした。(これは彼に全く非は無いし、逆パターン(僕の熱がない場合)だってたくさん起こっています。)

 

しかし、僕が異常なまで(宗教か?と思うほど笑)熱を持っていたので、一旦彼が折れて、僕らはその事業を軸に歩み始めることとなります。

 

 

しかし!

 

やはりその少しのすれ違いは、そう長く我慢できるものではないんだな、と感じた事態が起こりました。

 

10月半ばごろ、

「やはりこの事業は乗り越えなければならない課題が多いし、そもそも実現する世界が本当に人々のためになるのか、疑問だ。」

と彼から言われます。それまでもその話はしていたけれど、改めて。

 

確かに、その事業には賛否両論あるところはあるし、乗り越えなければならない大きな山もあります。

C to Cなので、広めるのもかなり難しいです。

 

 

「もう一度、事業を考えないか?」という提案に対し、僕は反論はしました。

しかし、途中で思いました。

 

この気持ちのすれ違いがあるまま、事業を作ることは無理だ

 

そして、同時に思いました。

 

ではこのサービスは、一生世の中に出ないの??

 

そしてそして、さらに思いました。

 

自分でプロダクトを開発できるようになりたい!!!

 

 

 

 

 

プロダクトを作れないもどかしさ

こーちはエンジニアです。

現在学校を休学中で、バリバリ働いているし、自分でSpeechLinksという、ESSスピーチ界の皆とスピーチを結びつけるサービスを展開しています。東大入試二次試験の数学で112点(/120)を取るほど頭のキレる人間です!笑

(↓こちらからアクセスできます!

SpeechLinks )

 

 

コードを書けることだけが、サービスを作ることではない、ということは確かにそうで、顧客インタビューをしてマーケットを調査するところから、世の中に広めていくところまで(やその後のメンテナンスまで、いや、その前に資金調達や採用、事務手続き、インタビュー、女優とデート??…など無限!)膨大な仕事量があります。

 

 

だから、非エンジニアの仕事だって、超重要だし、なんならそこがしっかりしていなければサービスは誰にも使われません。

 

 

それは分かる。分かるけれども、

 

やっぱりエンジニアでなければ、プロダクトが作れない!!!

 

というのは、見えやすく感じてしまうことでした。

 

それがとってももどかしくて、悔しかったです!

だから僕は、自分がエンジニアになって、プロダクトを一人で全部(大規模な、きれいなものはできないかもしれないけど、少なくともしっかり動くものは!)作れる人間になろう、と考えました。

 

その道として、

 

一年休学して、がっつりエンジニアとして働く

 

という決断にたどり着きました。

 

 

 

 

 

なぜ自分がエンジニアになるのか

これは結構大きな問いで、多くの人から言われたことであります。

事業を作るのはエンジニアだけではないよ、と。

 

それでもなお、僕がエンジニアとしての修行を積むことに踏み入ったのか、

そこには、次のような理由があります。

 

 

人の気持ちは変わる。自分のスキルは変わらない。

 

 

人の気持ちは、コロコロ変わります。

最たるものは、何を隠そう、この僕自身です!笑

 

こーちからは「コロコロだーら」なんで揶揄されてましたし、

親からも「広太はやりたいことがしょっちゅう変わって、何を軸にしているか分からない。」なんてちょっと怒られ気味に話されたこともあるし、

インターン先の社長にも「お、またぶれたか」と言われる終いです。

(その社長に関しては、「でもぶれていいんだよ、ぶれるってことは考えてる証拠だから」とフォローいただきました。)

 

 

 

自分にできないエンジニア業を誰がしてくれるのかを考えたとき、

今はこーちがいます。(電車のサービスに関しては彼は多分やらないけど、他の意気投合したサービスに関してはやってくれると思います。)

 

でも、彼だっていつまで気持ちが続くかは分からない(一般論として)。

 

ましてや、彼よりも関係性の薄い知人や、給料を払って雇う誰かに関してはより強くそれが言えます。

 

もし、「もうやらない!」と言われたら??

そもそも「誰もやってくれる人が見つからなかったら??」

終わりです。

イデアを出してマーケットニーズを検証して、マネタイズ、広報戦略まで立てたところで、お蔵入りするでしょう。

 

それが、悲しい、と単純に思った。

 

人に頼るということは、しょうがないことだけど、不確定性が大きい。

 

それに対して、自分が時間と熱量をかけて身につけたスキルは、基本的には残り続ける。

 

だったら今は、修行を積むことが将来のためになる、と判断しました。

 

作りたい!と思うサービスは、電車のものに限らずこの先の人生80年間でたくさん出てくるかもしれない。

その中で、これだ!!!と決めたものがあったとき、それを作れる、という状態になるために、1年くらい全然かけていい!と思いました。

 

 

 

 

 

人生のキャリア計画は?

ということで、僕はエンジニアとしての修行を積むわけですが、

その職種でキャリアとして勝負をかけるかは、正直微妙です。

 

まず、僕はエンジニアとしては圧倒的にスタートの遅れを取っていること。

世の中には高校生からプログラミングしています!

とか、

大学は情報系の学科です!

など、早くからプログラミングに親しんでいる人が大勢いる。(僕は工学部社会基盤学科です。)

そんな人達と、まともに勝負することが、僕にとって最適戦略なのかというと、正直違う気もします。

 

 

そして、才能が無い可能性があること。

僕、頭の回転とか、キレとか悪いんです!(全く謙遜していない)

暗算とかも苦手だし。

理系だけど、東大入試二次試験の数学の点数は52点(/120)です。💦

こーちと比べてダブルスコア以上ですよ!!💦

なんか、エンジニアに向いてなさそうな匂いがぷんぷんしてきます。

むしろ、コミュニケーションが柔らかかったり、人当たりが良かったり、話すことが得意であったり、文章が少しばかりうまかったり?と、

文系職の方が向いているのではと感じています。

 

 

ってことは、プロダクトを作れるだけのエンジニアリングスキルは身につけたいけど、新卒でエンジニア就職するのは人生大丈夫かな?と思う、、、

そこで出た解が、

休学してエンジニアリングを極める

という解でした。

 

だから今年1年は死ぬ気でやります。死にますまじで。

ブルーライト浴びすぎて顔が青くなるまでやります!!!!!

死ぬほど努力できるところだけが、自分の強みで、東大にいる所以だと思うので!!!

 

 

 

 

その先の話をすると、

 

大学4年生(復学後)は、研究の傍らインターンを続けながらエンジニアリングスキルを磨き続けます。

 

新卒では(まだエンジニアをやっていないから分からないけど)、おそらくビジネス側で就職し、余裕ができてきたら業務委託の様な形で開発しつつお金を稼ぎたいと思っています。

 

その就職先は、社会的信用が大きい、かつビジネスマンとしての力がつくところ(投資してもらうときとかって、やはりファーストキャリアが大事だ、とは思うので)を考えています。

 

そして、僕の市場価値が上がり、スキルも身に着け、市場を見る目も肥えたところで、いざ起業!!というプランを考えています。

 

 

今すぐに起業したいこーちの思いを踏みにじっての判断なので、かなりかなり申し訳ない気持ちでして…

こういうマインドにしてくれたのも、インターン先を紹介してくれたのも、ポートフォリオサイトのコードレビューをしてくれたのも全部こーちなのに、彼がgiveしてくれたものだけ受け取って、自分中心の道を選んだ感は苦しいです。

 

が、これも将来の(自分と)二人のためだ!!!という気持ちではいるので!

 

まあこーちは「モチベなんかいつまで続くかわからないじゃん!!!」と言うし、僕もそうかもしれないとは思いつつ、下がったら下がったでそれはその時。今はその計画に向けて、動き始めよう!と僕は思っています。

 

(もしかしたら、もっと早いタイミングで何かするかもしれないけど??笑)

 

 

 

 

 

理想はスラムダンクの河田雅史

僕がバスケを始めたきっかけは、スラムダンクなのですが、

その中に、河田雅史という選手が登場します。

 

山王工業というバスケの名門中の名門校で、センターを務める男です。

(アイドルのセンターとわ、違うよ★★ いいカラダだけど♡)

f:id:mken123:20160122233755j:plain

 

 

彼は鋼のような肉体を持ちますが、柔らかく、上手なプレーができます。

 

 

f:id:mken123:20160122232730j:plain

f:id:mken123:20160123002617j:plain

 

ほら!

センターがスリーポイントシュートを打つんですよ!!

センタープレイヤーは基本的に外でシュートなんて打たないので、ディフェンスも対処できないです。

しかも、センターには基本センターがディフェンスにつくので、背が高い相手選手を外におびき出すことができ、オフェンス側もリバウンド面で有利に働いたりします。

 

僕の代(現実世界)でも、宮城明成高校の八村塁選手(センター)はウィンターカップではスリーポイントとか打ってたりしましたけど!!

 

 

話は少しそれましたが、河田選手はなぜセンターなのにそんなに外の上手いのかと言うと、こんな理由があります。

 

f:id:mken123:20160123003800j:plain

f:id:mken123:20160123003803j:plain

 

っていうことです!

体が小さいときに身に着けたスキル。そして成長するたびにまた努力した彼は、最強のセンタープレイヤーとして活躍します。

 

 

僕にキャリアイメージもそんな感じ。

河田雅史のように、

 

筋トレを毎日頑張って、鋼のような肉体を手に入れたいと思っています!!!!

 

 

 

 

…ではなかった💦

 

今、死ぬ気でエンジニアリングスキルを身に着けて、

そのままその力を維持したままビジネスマンとして成長する。

エンジニアリング力を錆びつかせないように、アップデートするために、開発は継続して行う!

完璧だ!!!

 

そのためには、まず今年、ブルーライトを浴びまくることが重要だと考えています。

 

 

 

 

 

コロコロだーらは、ワクワク心に正直に。

話が膨らんでますが、正直に話しちゃお〜と思い始めてます。

 

 

さっき、学科が社会基盤学科だと触れましたが、なんで?と思いますよね。

このへんもコロコロしてるんですよね。

 

丁度、学科選択のころ、そんなに行きたい学科とかなくて、正直。迷ってました。

 

で、進振りの登録をするころ、僕ミャンマーにいまして、インフラの重要性を頭と目と耳と…三半規管全て使って感じてたんです!笑 バスがガタガタ大変で!!

 

紛争が原因でミャンマーを出ていった難民が、紛争が終わっても帰ってこない。

なぜか。

帰ってきても働く産業が無いから。

なぜか。

インフラが整備されておらず、企業活動ができないから。

 

 

と、一本のロジックが通り、インフラだ!

となって左脳的に学科を決めました。

あとは電車が好きだったくらい。

 

ここだ!!!という、熱い思いがあんまりなかったのです。

 

 

そして僕は気づきました。自分に衝撃を受けました。

 

 

ワクワクしないことに死ぬほど本気になるって、無理なんだなおれ

 

 

それまでどんなことでも地道にできる人間だと思ってたので。

もちろん、及第点がしっかり取れるくらいには努力できはするけど、燃えるほど頑張れないなって。だから、ワクワクすることってめちゃめちゃ大事なんだ、と思いました。

 

丁度今、それが見つかりかけていて良かったと思っています。

 

 

 

あと、大学院にも行かない感じで話が進んでますよね、この記事。

 

僕の学科は9割が修士に進みます。

でも、修士を出て、外資コンサルとか商社とか、学科あんまり関係ない??みたいなところに就職する人って結構多いんです。

まだ僕が大学院に行ったわけではないし、研究もしたことはないからわからないのですが、

「とりあえず」で大学院には行きたくないな、と思いました。

(就職とか関係なく、何か行きたい理由があればよいのです!

僕はモラトリアムの延長とか、周りと一緒がいいから、という理由で選択はしないと判断するけど、それが良いと判断する人はそれでよい。)

 

 

 

だから、ちょっと周りとは違うかもだけど、今まで積み上げてきたものから算出される最適なキャリアパスではないけど、

自分のワクワクすることをしたいなー!と思ってます。

 

 

 

最後に、こーちと決めた、実現したい世界を添えて。

 

心が震えるくらいやりたいことを、全ての人ができる世界を創る!

 

 

 

 

以上です!