『その手の動き』ができるやつは、なんか一人前
こんにちは!だーらです。
21歳も半分が過ぎ、自分の進路を考える時期になりました。
進路を考える上で、皆さん自己分析をなさるのではないでしょうか?
「自分が小学生のとき、どんなことに感情が動いたのだろう?」という、ありがちな問を自分にかけます。そこで出てきた一つのエピソードを、今日は紹介したいと思います。
読んでも大して得ることはないのであしからず。
題して、
「『その手の動き』ができるやつは、なんか一人前」
です!
学童保育に入った僕が出会ったボス
両親が共働きしている僕は、15時に小学校を追い出されてもすぐに家には帰れません。そんな子どもたちのための学童保育に、僕は小学校の入学式前から入れられました。
初日、学童保育の入り口でおばあちゃんと別れる悲しさ。
涙越しに覗き込む教室内で楽しそうに遊ぶ見知らぬ子どもたち。
さて、どんな小学生でも、男子コミュニティの中には、ボス的な存在がいたかと思います。
学童保育のコミュニティでも、それは例外ではありませんでした。
1年上の2年生に、庶民を束ねる求心力のあるボスがいました。
「いただきます」の前に判明する、彼の技術
ボスには、一つの特技がありました。
それは、夕方ごろに設けられたおやつの時間に発揮されます。
先生の掛け声とともに、おやつの時間が始まります。
(先生)「皆さん、おやつの準備はできていますか〜?」
(生徒)「はい!」
(先生)「はい、では、手を合わせてください」
(生徒)(手を合わせる)
そのときです。
ボスは、特技を発揮します。
両手を合わせるボス。
ここまではみんな(庶民)と同じ。
ここから彼のステージが始まります。
合わせられた彼の両手。
その第一関節より先が、突如右に傾き始めます。
と、瞬く間に、第一関節より先は左に旋回し、同時に第一関節と第二関節の間の部分が右方向に動き始めます。
呆気にとられていると、第一関節先再び右に、第一関節と第二関節の間は左に、そして第二関節より根本の部分は右に遷移しています。
動画を御覧ください。(僕の再現動画の質は当時のボスのものに劣ります)
なんときれいな動きなんだ!!
童心の僕にとって、その動きは圧巻でした。
そのボスと仲の良いグループ、及び、そこに入ることを狙う庶民たちは、彼の動きを真似し始めます。その手の動きが出来ることが、一種のステータスのようになっていました。
(庶民)「どうこれ??」
(ボス)「お!?? いやーまだまだだな〜、見てみ。」
(庶民)「う〜ん」
(ボス)(その手の動きを繰り返す)
しかし、数週間も経てば、この手の動きが出来る庶民が出てきます。
その成金庶民は、ボスのお墨付きを得て、ドヤ顔でそれを披露します。
僕を含め、他の庶民たちは成金の手の動きを複雑な気持ちで眺めます。
「ボスよりはきれいじゃないけど、まあでもボスが認めたからなー…」
家に帰って練習します。
少し出来るようになってくると、お母さんにドヤ顔で披露します。家の中では、僕以上にこの手の動きができる人間はいません。我が家において、この手の動きの滑らかさという軸で、僕の右に出る人はいません。
母親は、全く興味を示しません。
学童で披露します。
ボスに承認されるかされないかは、ボスの気分によるところがあり、その日は見向きもされませんでした。
帰り道、おばあちゃんに披露します。
おばあちゃんは、笑顔で僕を褒めてくれました。
「おれにだって、この手の動きができるんだ!!」
時は経ち、いつしか僕も、ボスから認められていました。
正式に認められたかは覚えていません。多分、注意されることがなくなったことを以て、僕はその手の動きができると認められたのかもしれません。
いづれにしても、僕はその手の動きをドヤ顔で披露することができるようになりました。
めでたし、めでた…
既にボスは次に領域に行っていた
話はそこでめでたく終わりません。
僕がその手の動きができるようになってすぐ、ボスは新たな手の動きを生み出していました。パイオニアでした。
今度は、手を合わせません。
右手だけ。右手だけで、同じように波を起こします。
自由端反射の、この波です。
(僕の再現動画の質は当時のボスのものに劣ります)
この手の動きver.2を見せられて、僕は思いました。
「また頑張らないといけない…つらいな。
でも、かっこいい…」
僕はまた努力しました。
そして、これもできるようになりました。
ボスは、新たに編み出したこの手の動きver.2に飽きていました。
僕も、ボスが飽きた時点でその手の動きver.2の魅力からは開放されていました。
無理やりFindingsを見つけよう
仮にも、このしょうもなすぎる話からFindingsを見つけると、(本当に書きながら流れで考えたので、深く思慮してないです、、、)
僕らは「他人ができて、自分の出来ないこと」に対して、強く注意が向くかと思います。
そして、それが社会的に注目されていたりすると、よりその注意は強くなり、自分がそれを出来ていないことに焦りを感じるようになるかと思います。
例えば、これだけITの時代で、AIに『負けない』という意味の分からない対決が叫ばれていて、FBの広告にはプログラミング関連のものばかりが並び(これは僕にパーソナライズされているだけ?)、小学校でプログラミングが必修になり、エンジニアの求人倍率がえげつないことになっていると、
あたかもプログラミングを学ばないといけないんじゃないの??
みたいに考え出す人が増えるのではないでしょうか?
でも、それは「その手の動き」現象かもしれません。
他人の芝は青く見え、自分も盲目的にそれが欲しくなる。でも、いざ得てみると、それでどうするんだっけ?
目的なくProgateやっても、結局Ruby使うときなんてなかったりね。
僕は、プロダクトをまるっと作れるようになりたい!!!という思いが一応あって、一度はやめたプログラミングを本気でやり始めたところだと思っています。
でも、その1年前に初めて Ruby on Rails を勉強したときには、全く目標がなく、ただ友達がやっていて、流行っているから、でした。
結果、全く意味はありませんでした。
もしかしたら、今も「その手の動き」現象に苛まれていることもあるかもしれないです僕自身。
まあでもそれはそれで、あとで意味が無いと気づくのもまた意味があるかもしれないし、実は「その手の動き」が後々奇跡的に生きることがあるかもしれないけど(今年Rubyやったときは一応復習という形でできたし)。
でもどちらかといえば、他人がキラキラ見えたって、自分にとって本当にそれが必要でなければ、追いかける必要はない、ですね。
追記
ちなみに、ボスのお父さんに会ったとき、そのボスのお父さんも「その手の動き」ができました。しかもボスよりきれいに。
なんだ〜、ボスもお父さんの技を披露していただけだったのか〜〜:)
以上です!
座右の銘:『迷ったらGo』で休学したり、彼女ができたり。
こんにちは!だーらです。
現在僕は、エジプトに向かう飛行機の中!
mocOS Mojaveにアップデートして追加されたダークモードに設定し、消費電力と周囲への光漏れを抑えながら、カチカチうるさいバタフライキーボードを最小限の力で叩いています。
1円も払わずにエジプト旅行とか最高ですか!?やはり家族旅行には来るものですな。
さて、今回のテーマはこちら!
座右の銘:『迷ったらGo』で休学したり、彼女ができたり。
お楽しみください~!
『迷ったらGo』
僕の座右の銘、大事にしている行動指針です。
これ、僕が編み出した言葉ではなく、親友のこーち(よく出てくるやつ)がよく口にしている言葉でした。
…リズムが良く、耳に残りませんか?!
こーちが「迷ったらGoだから!ww」と、風を切るように吐き捨てていたのが印象的です。
さて、『迷ったらGo』とはどういう意味か。
僕の中では、
「相反する2つの物事の合間に挟まれたとき、どちらかというと無難ではないけれど、ちょっとワクワク面白そうな方の選択肢を取ろう!」
だと解釈しています。
そんな『迷ったらGo』に突き動かされ、僕は大きな決断をしたり、素敵な人と出会うことができたりしました。
故事成語みたいにカッコいい座右の銘ではないので、例えば将来有名になってインタビューされて、「座右の銘はなんですか?」と言われたときに、「迷ったらGoです!!!」と答えてもいまいちキマらないですが、
それでもステキな言葉だと思うので皆様に贈りたいと思います!☺
『迷ったらGo』で休学します!
プロダクトが作れるようになりたいなーという思いに動かされた決断です。
詳しくは、↓こちらにまとめてあります。
実はこの決断は、正直言うとそこまで迷ったわけではないのですが、それでも簡単にはできない決断でした。
学科同期と1年ずれてしまうわけだし、今まで積み重ねてきた学習から方向性的には外れるわけだし。
でもそんなの関係無いかぁっ!!
「今までこういう人生を歩んで、これだけのコストをかけて、これだけの結果を出してきたわけだから、この選択肢が最適だ」
というのは確かにあるわけだけれども、それは客観的に見た「最適」なだけであって、「今の僕」にとっての「本望」とは限らないのだから。
『迷ったら』の「迷う」理由は、ここでは、「最適だが本望ではない」と「最適ではないが本望」の板挟みにあったからです。
思い切って後者の決断をできたのは、この座右の銘のおかげだ!と思っています。
※ 本来なら、この2つで板挟みにならないことが理想なのです。
板挟みになる原因は、「人間の興味は変わってしまう」ということと「徹底的に自分を分析し、選択肢を調べ上げた上で選択をする、ということを怠った」ことだと思います。
※ また、この世の中には、
①「板挟みにならない幸せな人間」
②「板挟みになる不幸せな人間」
③「やりたいことが定まらない人間」
の3種類がいて、その上でさらに②が「迷ったらGoする人間と、しない人間」に二分されるのだと思います。
やりたいことなんてそうそう決まらないので、僕はずっと③を生きてきたし、これからも戻るし、なんなら今も③を兼ねています。
その意味で、人生とは、「やりたいこと探し」だと思います。
『迷ったらGo』で彼女ができた!
ぷわ~~
こんなところで書くのは気が引けますが、やっぱタイトルに入れたらキャッチーだよな~、リンク踏む人増えるよな~、と思って入れました!(許可取って)
隣に座る妹が画面を覗き込まないかヒヤヒヤしています。
ではでは、にやけながら馴れ初めを話していくと…笑
その人とはカナダの短期留学中に出会いました!(何してんねん!)
その出会いがまさに『迷ったらGo』だったなと思うのです。
まず前提として、そのプログラムには、日本人はあまり参加していませんでした。だから、日本語が聞こえてくると「おっ!」となりました。
ある日僕は、いつも通り外出から寮に帰り、2階の部屋へ戻ろうとしました。
階段を上る手前にラウンジがあり、そこには女の子が2人ほどいるようでしたが、話している内容は聞こえてきませんでした。
2階についたところで、吹き抜けになっているラウンジから笑い声が聞こえてきました。
「え??めっちゃ日本人っぽい笑い方なんですけど!!」
それから1分間くらい、2階のガラス窓に耳をはり付けて、うっすら届くラウンジの会話を聞いていました。
「おいこれ、日本語じゃん!!」
しかし、迷います。
「いやでもなー、『日本人ですか?』なんて女の子2人に男子が話しかけに行くなんて気がひけるよな…。しかもわざわざ階段降りてまで。でもなー、普通に話したいしな。う〜〜迷う〜〜。」
その時、迷える青年に神はささやきかけます。
『迷ったらGoだよ』、と。
…だよな!!せっかく出会った日本人だ、話しかけないでどうする!!!
嗚呼、アーメン。嗚呼、アーメンアーメン僕イケメン!!!(ここで根拠の無い自信に襲われる)
思い切って話しかけたら、その2人は郊外のアウトレットに行くところらしく、でも英語とか交通手段とかが不安で、Facebookで僕が東大だって知っていて、そいでもって予定なければ一緒に来てほしい、って???
嗚呼、神は死んでない。
ニーチェさんよ、もし神が死んだと仮定してみようか。するとどうだろう、それは僕がこの運命的な出会いをしたという事実に矛盾する。よって神は存在するのだ!!!
さてさて、僕は今回、いわゆる「恥ずかしさ」や「変な人と思われるのが怖い」みたいな感情と、「話しかけたい!」という感情の板挟みになった。
まあ、無難な選択肢は、話しかけず自分の部屋に戻ること。トラブルは一切起こらない。でも、せっかくの機会だし!、自分の心に従って!、迷ったらGoしてみるもんだな〜、と思いました!!
冷静に分析すると、『迷ったらGoしない』方が良いのではないか?論
今回は、『迷ったらGo』した結果、ハッピーになった!というストーリーを紹介しました。
でも、冷静に分析してみると、『迷ったらGo』が必ずしも正しいとは限らないです。
たまたま『迷ったらGo』していい感じになった事象が目立っているだけで、気づきにくいけど『迷ったらGo』してないことで人生うまく回ってることの方が多いじゃん!!ということです。
例えば、数ヶ月前に「そんなに好きかわからないけど、今告白したら付き合えそう…」という人に対して告白しなかったおかげで、今の彼女と付き合えている、ということを考えると、数ヶ月前に、迷って、でもとりあえず告白してみるか!!みたいな行動をとらなくてよかった〜と、今は結果論的に思っているわけです。
この現象を考える上で、「宏観異常現象」という現象に対する考え方のアナロジーが使えるので、今学期木曜4限に開講されていた授業内容を基に話を進めてみます。
4分割表を考えよ!
大きな地震が起こったとき、一見関係なさそうだが、その現象を予知しているかのように考えられる現象のことを「宏観異常現象」と呼びます。
例えば、大地震に対して、そう言えばその直前に地震雲が見られた!、とした場合、地震雲が宏観異常現象に当たります。
(地震雲とは、地震の前後に特殊な形状の雲が観測される、と言われているものである。ただ、その様な雲と地震の発生の関連は、地球科学や気象学、そして一般的な科学としてほとんど認められていない。- Wikipediaより)
(こんな感じの変な雲)
…ありますよね、ガラスのコップが割れたから、今日は不吉なことが起こりそうだ、みたいな。
我々がこのように考えてしまうのは、実際に地震が起きたときの事ばかりが目立ち、記憶に残るから。事後的に、そう言えば◯◯が見られた!と振り返り、記憶に刻んでゆきます。地震雲が見られても地震が起こらないことの方が圧倒的に多いかもしれないが、そちらは目立たない、ので記憶に残らない。
そこで客観的に両者の関係を分析するために、4分割表を作成します。
「地震雲が見られた or 見られない」と「地震があった or 無い」の4通りの組み合わせの表です。
私達が着目しがちなのはAの部分。
でも、B(雲はあったけど地震は無かった)やC(雲は無いけど地震はあった)とかにもちゃんと焦点を当てないとダメですよね!という話です。
話はここから、オッズ比を考えて…と進みますが、一回ここでストップして、『迷ったらGo』に戻ります。
こちらの表を考えてみましょう。
休学や今回の彼女の例はAに当たりますが、数ヶ月前の女の子の例はCに当たります。
誰とも付き合ってない状態で「渋谷でナンパしてみようぜ!!」となったのに、チキってしなかったことはDかな。
僕は人をグイグイ鼓舞してモチベートするのが得意ではないのに、サークルのチーフを引き受けたのは微妙だったかな…と感じるときもあり、その場合その選択はBに当たります。
そう考えると、本当に『迷ったらGo』が正しいのかは分からない。
…正確に言うと、「確率的に」正しい決断となるのかは分からない。
正しい決断が出るかはわからないけれど、それでもなお、決断の方法としては、『迷ったらGo』は正しいものだと僕は思う。
それは、「おれは『迷ったらGo』で決断したんだ!!」と思うことそれ自体が、自分を勇気づけ、奮い立たせることになると考えるからです。
自分の決断を、自信を持って信じよう!
Goするということは、ポジティブな決断をする、ということ。
「やらない後悔よりも、やる後悔」とはよく言われたものです。
やってダメなら、それは自分の力が足りなかった、努力できなかった、そして、自分の「決断が間違っていた」と分かります。
でも、やらなかったら、やったときにどうだったか分からない。もしかしたら上手くいっていたのかもしれない。そして、自分の「決断自体が正しかったのか、間違っていたのか」さえも分かりません。
僕はプロダクトが作りたいと思いエンジニアになりたいと思うけれども、もしGoしなければ、自分がエンジニアに向いていたのかも分からない、プロダクトを作る喜びも辛さも分からない。一生、エンジニアってどうなのかな〜と思い続ける。エンジニアの才能や適正が無いと分かったわけでもなく、失敗したわけでもないからスッキリしない。それでは悲しいな、と思うんです。
だから、『迷ったらGo』。
そして、常にそれを座右の銘として刻んでおけば、自分の選択に自信を持てるし、失敗しても大きな心で受け入れられる。
「まあ、『迷ったらGo』でうまくいくと思ってたんだからしょうがないな。昔の俺は可愛いな。そいで、今日からどうするか!」と。
…そんな感じですかね!!
ああ語った語った。満足です!
そんな僕は、最近『迷ったらGo』しなかった
12月のとある二週間くらいの間に、僕は9社ぐらいのスタートアップに面接に行きました。
「東大生です!休学します!死ぬ気でやります!ちなみに作りたいサービスがあって、プレゼン資料見せますね!」と。
その中で、結構いい感じの会社が「Go」というプログラミング言語を使っていました。
まだ僕はあまり詳しくないので詳細には語れないですが、「Go」はGoogleが開発したプログラミング言語で、今メキメキ伸びてきているまさに時代の最先端をゆく言語です。メルカリなどもどんどんGoエンジニアを採用しています。
その会社のCTOの方から言われました。
「今はGoでしょ!!熱いよ!君も鍛えてあげるから、うちに来ない?」と。
しかし、僕は結局そこにはいかず、つまり「Go」はやらず、今のインターン先に残って「Ruby on Rails」をやることを決断しました。
理由は複数ありますが、
Railsはコミュニティもしっかりしていて初心者には学習しやすいから、とか、
世界的に人気が低下しているとはいえ、日本ではまだまだ支持されているから(Rubyの開発者が日本人だから、かな)、とか、
こーちが(現時点では)Railsエンジニアだから、とか、
そのインターン先に情があるから!!とか、です。
だから、すみません、僕、『迷ったらGo』しませんでした。笑
はい、最後はどうでも良い余談でした!
以上、本日は僕の座右の銘、
『迷ったらRails』についてでした!!!
僕の将来の話をしよう!
こんにちは!だーらです。
本日は、自分の決断をまとめたいと思います。
渡る世間は 僕の将来に興味のない人 ばかり
だとは思いますが、来年学校からいなくなったりするかもしれないので、一応報告まで…笑
人生で一番悩んだ末、一番の親友に決断を告げ、電話終了後の深夜12時からつらつら書き始めています。
題して
僕の将来の話をしよう!
はじまりはじまり〜
こーち!
僕の人生が変わったのは、彼と出会ってから。笑
「起業したい!」「サービスを作りたい!」とか、彼と出会うまでは微塵も思ったことはありませんでした。
彼と出会ってからもしばらくは、インスパイアされず。
「一緒に起業しようぜ!!」とずーーっと言われてもなお、「いや…」という感じでした。
それが変わり始めたのは、今年(2018)の8月。
2人で合宿しようぜ!!!ということで、群馬県は草津まで旅行に行きました。
草津まできて、宿の部屋にこもり、ブレスト、ブレスト、ブレスト。
煮詰まった僕たちは、湯畑を歩きながら、
「女の子お持ち帰りできる店が一軒だけあるらしいんだけど、どこかな〜?」
と、宿のおっちゃんから聞いた僅かな情報を頼りに、温泉街を歩いたりしていました。
…それはいいとして、
そのとき初めて、ビジネスアイデアを本気で考え始めたのです。
合宿中には結局、これ!というものを決めることができませんでしたが、その後もしばらく考え続け、9月11日ごろ、「これで走り始めるか!!」というアイデアが一つ定まりました。
そのサービスが、僕のキャリア設計、僕とこーちの関係性に大きな影響を与えることとなります。
一生このサービスは世の中に出せないってこと??
そのサービスは、「電車」に関するサービスです。
事業内容に関しては、誰も盗まないと知りつつも今はここで公開するのはやめるか〜笑、と思ったので明言はまだしないことにしますが、
僕が毎日の通学で感じる課題を解決できるものでした。
僕が電車が好きだった、ということもあるかもしれませんが、
これ、めちゃ作りたい!!!!
と、燃え上がる火が心の中に灯ったのです。
しかしここで、一生つきまとうであろう大きな問題に直面します。
それは、
事業内容への共感
です。
今回の例で言えば、このサービスは僕が思いついたものでした。
そして、人はやはり自分が思いついたアイデアが可愛いし、他人のアイデアへは自分のものほどの熱をかけられないものです。
こーちは、このサービスに関して、それほど熱はありませんでした。(これは彼に全く非は無いし、逆パターン(僕の熱がない場合)だってたくさん起こっています。)
しかし、僕が異常なまで(宗教か?と思うほど笑)熱を持っていたので、一旦彼が折れて、僕らはその事業を軸に歩み始めることとなります。
しかし!
やはりその少しのすれ違いは、そう長く我慢できるものではないんだな、と感じた事態が起こりました。
10月半ばごろ、
「やはりこの事業は乗り越えなければならない課題が多いし、そもそも実現する世界が本当に人々のためになるのか、疑問だ。」
と彼から言われます。それまでもその話はしていたけれど、改めて。
確かに、その事業には賛否両論あるところはあるし、乗り越えなければならない大きな山もあります。
C to Cなので、広めるのもかなり難しいです。
「もう一度、事業を考えないか?」という提案に対し、僕は反論はしました。
しかし、途中で思いました。
この気持ちのすれ違いがあるまま、事業を作ることは無理だ
そして、同時に思いました。
ではこのサービスは、一生世の中に出ないの??
そしてそして、さらに思いました。
自分でプロダクトを開発できるようになりたい!!!
プロダクトを作れないもどかしさ
こーちはエンジニアです。
現在学校を休学中で、バリバリ働いているし、自分でSpeechLinksという、ESSスピーチ界の皆とスピーチを結びつけるサービスを展開しています。東大入試二次試験の数学で112点(/120)を取るほど頭のキレる人間です!笑
(↓こちらからアクセスできます!
コードを書けることだけが、サービスを作ることではない、ということは確かにそうで、顧客インタビューをしてマーケットを調査するところから、世の中に広めていくところまで(やその後のメンテナンスまで、いや、その前に資金調達や採用、事務手続き、インタビュー、女優とデート??…など無限!)膨大な仕事量があります。
だから、非エンジニアの仕事だって、超重要だし、なんならそこがしっかりしていなければサービスは誰にも使われません。
それは分かる。分かるけれども、
やっぱりエンジニアでなければ、プロダクトが作れない!!!
というのは、見えやすく感じてしまうことでした。
それがとってももどかしくて、悔しかったです!
だから僕は、自分がエンジニアになって、プロダクトを一人で全部(大規模な、きれいなものはできないかもしれないけど、少なくともしっかり動くものは!)作れる人間になろう、と考えました。
その道として、
一年休学して、がっつりエンジニアとして働く
という決断にたどり着きました。
なぜ自分がエンジニアになるのか
これは結構大きな問いで、多くの人から言われたことであります。
事業を作るのはエンジニアだけではないよ、と。
それでもなお、僕がエンジニアとしての修行を積むことに踏み入ったのか、
そこには、次のような理由があります。
人の気持ちは変わる。自分のスキルは変わらない。
人の気持ちは、コロコロ変わります。
最たるものは、何を隠そう、この僕自身です!笑
こーちからは「コロコロだーら」なんで揶揄されてましたし、
親からも「広太はやりたいことがしょっちゅう変わって、何を軸にしているか分からない。」なんてちょっと怒られ気味に話されたこともあるし、
インターン先の社長にも「お、またぶれたか」と言われる終いです。
(その社長に関しては、「でもぶれていいんだよ、ぶれるってことは考えてる証拠だから」とフォローいただきました。)
自分にできないエンジニア業を誰がしてくれるのかを考えたとき、
今はこーちがいます。(電車のサービスに関しては彼は多分やらないけど、他の意気投合したサービスに関してはやってくれると思います。)
でも、彼だっていつまで気持ちが続くかは分からない(一般論として)。
ましてや、彼よりも関係性の薄い知人や、給料を払って雇う誰かに関してはより強くそれが言えます。
もし、「もうやらない!」と言われたら??
そもそも「誰もやってくれる人が見つからなかったら??」
終わりです。
アイデアを出してマーケットニーズを検証して、マネタイズ、広報戦略まで立てたところで、お蔵入りするでしょう。
それが、悲しい、と単純に思った。
人に頼るということは、しょうがないことだけど、不確定性が大きい。
それに対して、自分が時間と熱量をかけて身につけたスキルは、基本的には残り続ける。
だったら今は、修行を積むことが将来のためになる、と判断しました。
作りたい!と思うサービスは、電車のものに限らずこの先の人生80年間でたくさん出てくるかもしれない。
その中で、これだ!!!と決めたものがあったとき、それを作れる、という状態になるために、1年くらい全然かけていい!と思いました。
人生のキャリア計画は?
ということで、僕はエンジニアとしての修行を積むわけですが、
その職種でキャリアとして勝負をかけるかは、正直微妙です。
まず、僕はエンジニアとしては圧倒的にスタートの遅れを取っていること。
世の中には高校生からプログラミングしています!
とか、
大学は情報系の学科です!
など、早くからプログラミングに親しんでいる人が大勢いる。(僕は工学部社会基盤学科です。)
そんな人達と、まともに勝負することが、僕にとって最適戦略なのかというと、正直違う気もします。
そして、才能が無い可能性があること。
僕、頭の回転とか、キレとか悪いんです!(全く謙遜していない)
暗算とかも苦手だし。
理系だけど、東大入試二次試験の数学の点数は52点(/120)です。💦
こーちと比べてダブルスコア以上ですよ!!💦
なんか、エンジニアに向いてなさそうな匂いがぷんぷんしてきます。
むしろ、コミュニケーションが柔らかかったり、人当たりが良かったり、話すことが得意であったり、文章が少しばかりうまかったり?と、
文系職の方が向いているのではと感じています。
ってことは、プロダクトを作れるだけのエンジニアリングスキルは身につけたいけど、新卒でエンジニア就職するのは人生大丈夫かな?と思う、、、
そこで出た解が、
休学してエンジニアリングを極める
という解でした。
だから今年1年は死ぬ気でやります。死にますまじで。
ブルーライト浴びすぎて顔が青くなるまでやります!!!!!
死ぬほど努力できるところだけが、自分の強みで、東大にいる所以だと思うので!!!
その先の話をすると、
大学4年生(復学後)は、研究の傍らインターンを続けながらエンジニアリングスキルを磨き続けます。
新卒では(まだエンジニアをやっていないから分からないけど)、おそらくビジネス側で就職し、余裕ができてきたら業務委託の様な形で開発しつつお金を稼ぎたいと思っています。
その就職先は、社会的信用が大きい、かつビジネスマンとしての力がつくところ(投資してもらうときとかって、やはりファーストキャリアが大事だ、とは思うので)を考えています。
そして、僕の市場価値が上がり、スキルも身に着け、市場を見る目も肥えたところで、いざ起業!!というプランを考えています。
今すぐに起業したいこーちの思いを踏みにじっての判断なので、かなりかなり申し訳ない気持ちでして…
こういうマインドにしてくれたのも、インターン先を紹介してくれたのも、ポートフォリオサイトのコードレビューをしてくれたのも全部こーちなのに、彼がgiveしてくれたものだけ受け取って、自分中心の道を選んだ感は苦しいです。
が、これも将来の(自分と)二人のためだ!!!という気持ちではいるので!
まあこーちは「モチベなんかいつまで続くかわからないじゃん!!!」と言うし、僕もそうかもしれないとは思いつつ、下がったら下がったでそれはその時。今はその計画に向けて、動き始めよう!と僕は思っています。
(もしかしたら、もっと早いタイミングで何かするかもしれないけど??笑)
理想はスラムダンクの河田雅史
僕がバスケを始めたきっかけは、スラムダンクなのですが、
その中に、河田雅史という選手が登場します。
山王工業というバスケの名門中の名門校で、センターを務める男です。
(アイドルのセンターとわ、違うよ★★ いいカラダだけど♡)
彼は鋼のような肉体を持ちますが、柔らかく、上手なプレーができます。
ほら!
センターがスリーポイントシュートを打つんですよ!!
センタープレイヤーは基本的に外でシュートなんて打たないので、ディフェンスも対処できないです。
しかも、センターには基本センターがディフェンスにつくので、背が高い相手選手を外におびき出すことができ、オフェンス側もリバウンド面で有利に働いたりします。
僕の代(現実世界)でも、宮城明成高校の八村塁選手(センター)はウィンターカップではスリーポイントとか打ってたりしましたけど!!
話は少しそれましたが、河田選手はなぜセンターなのにそんなに外の上手いのかと言うと、こんな理由があります。
っていうことです!
体が小さいときに身に着けたスキル。そして成長するたびにまた努力した彼は、最強のセンタープレイヤーとして活躍します。
僕にキャリアイメージもそんな感じ。
河田雅史のように、
筋トレを毎日頑張って、鋼のような肉体を手に入れたいと思っています!!!!
…ではなかった💦
今、死ぬ気でエンジニアリングスキルを身に着けて、
そのままその力を維持したままビジネスマンとして成長する。
エンジニアリング力を錆びつかせないように、アップデートするために、開発は継続して行う!
完璧だ!!!
そのためには、まず今年、ブルーライトを浴びまくることが重要だと考えています。
コロコロだーらは、ワクワク心に正直に。
話が膨らんでますが、正直に話しちゃお〜と思い始めてます。
さっき、学科が社会基盤学科だと触れましたが、なんで?と思いますよね。
このへんもコロコロしてるんですよね。
丁度、学科選択のころ、そんなに行きたい学科とかなくて、正直。迷ってました。
で、進振りの登録をするころ、僕ミャンマーにいまして、インフラの重要性を頭と目と耳と…三半規管全て使って感じてたんです!笑 バスがガタガタ大変で!!
紛争が原因でミャンマーを出ていった難民が、紛争が終わっても帰ってこない。
なぜか。
帰ってきても働く産業が無いから。
なぜか。
インフラが整備されておらず、企業活動ができないから。
と、一本のロジックが通り、インフラだ!
となって左脳的に学科を決めました。
あとは電車が好きだったくらい。
ここだ!!!という、熱い思いがあんまりなかったのです。
そして僕は気づきました。自分に衝撃を受けました。
ワクワクしないことに死ぬほど本気になるって、無理なんだなおれ
それまでどんなことでも地道にできる人間だと思ってたので。
もちろん、及第点がしっかり取れるくらいには努力できはするけど、燃えるほど頑張れないなって。だから、ワクワクすることってめちゃめちゃ大事なんだ、と思いました。
丁度今、それが見つかりかけていて良かったと思っています。
あと、大学院にも行かない感じで話が進んでますよね、この記事。
僕の学科は9割が修士に進みます。
でも、修士を出て、外資コンサルとか商社とか、学科あんまり関係ない??みたいなところに就職する人って結構多いんです。
まだ僕が大学院に行ったわけではないし、研究もしたことはないからわからないのですが、
「とりあえず」で大学院には行きたくないな、と思いました。
(就職とか関係なく、何か行きたい理由があればよいのです!
僕はモラトリアムの延長とか、周りと一緒がいいから、という理由で選択はしないと判断するけど、それが良いと判断する人はそれでよい。)
だから、ちょっと周りとは違うかもだけど、今まで積み上げてきたものから算出される最適なキャリアパスではないけど、
自分のワクワクすることをしたいなー!と思ってます。
最後に、こーちと決めた、実現したい世界を添えて。
心が震えるくらいやりたいことを、全ての人ができる世界を創る!
以上です!
なぜ僕は自転車をこぎながらしゃべり続け、左手を見ると文字だらけなのか?
こんにちは!!だーらです。
ひっさびさの更新!
実は、前回までの記事と、今回からの記事には大きな違いがあります!!!
それは…
「MacBook Pro」でタイピングしていること!!!
皆さん気づいたかな??
2017年モデルなので、最新版の一世代前、「第二世代バタフライキーボード」で。少しカチカチ高い音がうるさいですね、やはり。
以前使っていたWindows PCのキーボードに不具合が発生したのと、iosアプリを開発したい(すぐではないけど)!!というタイミングが重なって、買い替えました☆
(…全額を払う財力はなかったので、恥ずかしながら親に補助もいただきつつ。かじれるスネはかじろう。)
まあとはいえ、圧倒的操作性を手にし、快適なMac生活を送っています。
さあ、久しぶりの更新の今日はかる〜い話です!
皆さんの参考になれば??
逆にもっとこっちの方がいいよ!みたいなアドバイスもあればお聞きしたいです。
題して、
「なぜ僕は自転車をこぎながらしゃべり続け、左手を見ると文字だらけなのか?」
です!
圧倒的情報量の海で溺れたい
約1年前、武者修行プログラムという海外インターンに参加したことがあって、
そのときできた30人ほどの仲間と、僕は今でも深い絆で結ばれています。(まじで)
そのメンバーの中には、イケてる大学生、新卒1年目の社会人、そしてファシリテーターとして期間中に支えてくださったビジネスマン・ウーマンの方がいまして、ライングループは今でも定期的に動いています。
そこで時々流れてくる、
FYI
(記事のURL .jp)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
感想・教訓
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
というメッセージ。
非常にためになるものばかりで有り難いと感じるとともに、
「この人がシェアしてくれなかったらおれ一生読まなかっただろうな。しかも厳選して送ってるってことは、この10倍くらいの量を読んでるってこと???」
と、不安・焦りも感じていました。
そこで、頻繁にシェアをしてくれるメンバーに質問。
「どのくらいの情報量を仕入れているんですか??」
深夜1:39に飛ばしたLINEに対して返ってきた返信は、以下のようなものでした。
まぁ、昔からビジネス系は全部見てるかなぁ
(ここで10個ほどの記事媒体が登場)
あとは知り合いのシェアとか、テーマごとに知識や情報を体系化する場合は、関連領域の本を3〜10冊くらい選定して読み込むね!
…うひょ〜〜〜!!!
想像のはるかに超える答えに、途方に暮れる朝8:40。
LINEの返信は6:42。
てか、めっちゃ生活リズム規則的ですやん!!
返信時間から推測される規則正しい生活リズムで周囲を囲われ、返信内容にとどめを刺された僕は、
朝一のトイレに座りながら、こう思いました。
「おれも、情報量の海で溺れたい…!!」
(FYIとは、
For Your Information の略だそうです)
いや、冷静に考えて溺れたくない
そこで僕は、Forbes Japanや日経ビジネスオンライン、プレジデントオンライン、東洋経済オンラインなどにメルマガ登録をし(それ専用のアドレスも作って!!笑)
毎日最新ラインナップを仕入れています。
そして、川越〜本郷三丁目間約45分間を活用し、面白そうな記事を読み漁っています。
しかし、気をつけなければいけないことがあります。
それは
「ただ読むだけ読んで、情報が抜けていくこと」
まさに、情報の海で溺れている状態です。
先程僕を圧倒した方が、補足として言ったことが身にしみます。
とはいえ、ただ読んだだけなら流れてくからねー
量とかやり方よりも、一回、しっかり仮説思考で記事からfindingsを導く経験をしておくといいと思うよ。
まさに!!!
情報の海に溺れないで、舵をしっかりとって進む。
コンパスが指し示すのは宝の在処。
「面舵いっぱい!」
よし、島が見えてきた。さあ野郎ども、酒を飲み干せ!
2つの段階?
2つ目に引用した箇所には、
①「記事を落とし込み、findingsを導け」
と
②「仮設を立てた状態で記事にあたり、それを検証せよ」
の2つのメッセージがあると思います。
そして、②はかなり難しい気がします。かなり。
なので、まずは①。
記事を自分のものとして吸収し、抽象的な学びとして抽出しよう。
そこで僕が初めたのが、
記事のタイトルを手に書き、あとでそれを見ながら内容をプレゼンする
という方法です。
そしてプレゼンの最後に、
「要は、」
と
「僕が思うにはね、」
を添えます。
つまり、「findingsの抽出」と、「それに対して思うこと」の両方を話すフレームを作っているのです。
忘却曲線を、ツン!と突くイメージ
みなさん、↑これ、覚えてますか??
分かる!!あの、小学校の算数の授業で、新井先生がドヤ顔で見せてくるやつでしょ!!??
分かるなー。復習しないとこうなりますよ、ってね。
記事を読んで、ある程度時間が経ったときに、声に出して内容を再現するのです。
すると、自分の中から抜けかかっていた記事が、再び脳に刻まれる。
しかも、このドヤ顔曲線によれば、その減衰速度は復習前より小さくなっています。
僕は、家から最寄り駅まで自転車をこぐおよそ30分間が、この時間として最適なので、ブログタイトルの様なことをしているのです。
手に何も書かなくたっていいじゃん!って??
それがねー、記事の内容の前に、そもそもなんの記事を読んだのかを思い出すのって、結構至難の技なんですよね。
だから、そこだけカンニングをしています。
メリット
記事内容を自分一人でプレゼンすることに対して、上に書いたメリット(忘却の防止、findingsの抽出、自分の意見の創出)に加えて、以下のものを実感しています。
①読み終えたあと、これでおれプレゼンできる?とチェックできる
電車で記事を読んでいたとき、
「お?俺の前に座ってる人降りそうだぞ??
降りるか??降りるか??… おい〜フェイクかよ・・・怒」
なんてことが起きて、文字を読みながらも内容は筒抜けていることがありますよね。
それではプレゼンができません。もう一度読んで内容を把握するポイントになります。
②プレゼンが上手くなる気がする
これは全くそうかは分からないですが、内容を知らない人に向かってプレゼンをする体で毎回話しているので、練習回数だけは積めているのではないかと思います。
フィードバックはかからないですが。
③時間を有効に使える
自転車に乗っていたり、歩いたりしている時間を有効に使いたいですよね。
④新たな出会いを生み出す
プレゼン中にすれ違った女性から、
「今、日本の起業家ランキングについて話していました??
かっこいいですね!ご自身も起業家なんですか?
もしよかったら、この後お茶でもどうですか?♡」
とか。
警察から、
「ちょっといいですか?」
とか。
そんな感じで、以上です!
編集後記
朝手に書くと、字が落ちる、ということに今更ながら気づきました。
よって、付箋に書き込んでおいて、自転車に乗るときには手にペタッと貼っておく作戦に変更しようと考えています。
だから僕の手がきれいでも、
「あれ?あいつサボってね?
ブログは所詮パフォーマンスか。うっすうっす」
とならないでね☺
西日本豪雨災害、いまだ復興への道のりは遠し。人手は足らず。
こんにちは、だーらです。
大学3年生の夏休み最後の2日間を使って、岡山県、真備町へボランティアにいってきました。
この地域が洪水被害にあったのは、7月初旬のこと。災害から、2ヶ月半が経過した町の様子は、日常とは程遠いものでした。
今回はその報告です。
※今回のボランティアでは、住民の方への配慮から民家の中を撮影することは制限されていました。この記事の中に出てくる室内の写真は、家主の許可を撮って撮影したものです。
岡山県、真備町
気象庁によって、「平成30年7月豪雨」と名付けられたこの豪雨で、最も被害の大きかった地域です。
倉敷市全体の死者数51名のほとんどを、この町が占めています。
災害からは2ヶ月半が経過。
それまでの地域住民やボランティアの活動の成果もあり、道路は車がしっかり走れるよう整備され、ボランティアセンターも体系的に運営されていました。
でも、まだ営業中止のお店もたくさん。
街中には、片づけが進んだながらもところどころ大きなごみがあります。
そして、僕らが派遣された家々は、「日常生活を送る」のには程遠い状態でした。
↓壊れたままのたばこ自販機
2階まで浸水、泥だらけになる家
今回の洪水で、多くの家が2階まで浸水しています。
当然その家に住み続けることは不可能で、現在は別の住居で住民は暮らしています。
僕は2日間で2件の家の片づけ作業を手伝わせていただきましたが、どちらの家も、室内の壁は取り外され、骨組み状態になっていました。
浸水の被害にあった家では、まず泥を外に掻き出すところから始まります。
泥にまみれた家具なども運び出し、後に壁などを取って、家の骨組み部分まで掃除をします。消毒をし、床や壁を取り付けて、そのあとで家具を運び入れ、暮らすことができるようになります。
長い道のりです。
1日目の家では、家の骨組みの木についた泥を歯ブラシや雑巾で取る作業をしました。
これで、5人ほどのボランティアが1日にできる作業時間は全て終了です。
作業開始前と後で、大して家の中の風景は変わらず、骨組みの泥がなくなっただけ。たったこれだけの地味な作業に、5人がそれぞれの1日分の作業量をつぎ込まなければならないのです。
どれだけ人手と時間が必要か、
身にしみて感じます。
2件目の家では、たんす・キッチンの運び出しや、土壁の内壁をはがして土を回収する作業。これで10人の1日の作業時間は終了します。
↓土壁の内壁を取った後。ごりごりつついて天井から土を落とすため、土まみれに。
今でも3、4時間しか眠れない
ボランティアで派遣される家では、基本的にその家の家主さんの指示に従います。
1日目に伺った家の家主さんは、50代くらい?の夫婦。奥さんはとても気さくな人でいろいろとお話をしました。
その中でこんなことを言っていたのが心に刺さりました。
「最初のころは1、2時間で目が覚めてしまってね…
今でも一日3、4時間くらいしか眠れないから、毎日くらくらだよ~。
こっちで片づけばっかしてるから、今の仮設住宅に帰っても片づける気にならなくてちらかってるんだ(笑)
お料理をする気にもならないね…疲れちゃって。
昔は毎日思ってたよ、これが夢ならいいなー、ってね。」
とっても明るいおばちゃんで、落ち込んでいるようには全く見えなかったおばちゃん。この言葉からは、2ヶ月半たっても癒えない辛さが感じられました。
人手は足りない
台風21号や、北海道地震… ここ数か月の日本列島は災い続きでした。
当然のことではあるのだろうけど、9月のボランティア参加者は8月よりは減っているとのことです。
岡山までは、往復の交通費だけでも3万円を超え、そう簡単に行けるような場所ではありません。僕も、近々でまた行けるかと言うと、たぶん無理です。
でも、もし、時間とお金に余裕がある読者の方がいたら、少しお力をお貸ししていただけるとよいかと思います。
このブログの最後に、ボランティアに行くメリットを書くので、少しでも惹かれたらご検討をmm
よろしくお願いします。
(ちょっとした驚き)IT化されたボランティア会場
今回のボランティア活動の受付は、
紙に名前と連絡先を書いて、、、
ではなく、事前にweb上で登録するかたちでした。
Peatixという緑色のアプリ、ご存知ですか?
たまにイケイケなイベントに参加するときに使うようなイメージが僕の中では勝手にありますが、
これが被災した地域のボランティアセンターで使われていたのだから驚きです。
受付の机の上にあるのは、紙とペンではなく、ノートPC。
ギャラリーには、大きく印刷されたQRコードがかかっています。
Peatixの導入を先頭に立って進めた方とお話しました。
「IT化を進めよう!と強く提案したんだよね。
いや、確かにそういうのについてこられない人がいることはこっちも分かってるけど、そこは最大限の配慮をして。
前例はないけれど、ボランティアセンターにも話が分かる柔軟な人がいて、思い切って導入したんです!」
会場では名前を口頭で伝えれば手続き完了。
おかげで人の流れはとてもスムーズでした。
ボランティアに行くメリット
メリットとか考えてボランティアに行くのもどうかなと、しかもそれを堂々と言語化するのは若干気が引けるところはありますが、
今の被災地には偽善者も必要なほど人が足りません!
というか、自分のために行っても、そこで人のためになることをすれば全然良い人だよね!!
メリットその1.前後で観光ができる
僕は2日前に広島に入って、
と観光し、
ボランティア期間にも倉敷 美観地区を観光しました!!
しかも帰りはちょっと高いけど夢に見た寝台特急サンライズ出雲で東京へ✨
↓鞆の浦
↓倉敷 美観地区
メリットその2.ボランティア中の宿泊代がでた!
僕は green bird というNPOを通して申し込んだのですが、宿泊代が出たのです!
NPOの運営員の方が、企業を巡り、その理念に共感してくれた企業がお金を出してくれたおかげです。ありがとうございます。
(この先もそうかは、僕には分からないですが)
メリットその3.ボランティア参加者と友達になれる!
自分が行っといてなんですが、やっぱり休日を返上して、高い交通費をかけてまでボランティアをしにくる人って、なんかすごい人が多いです!
たくさんの面白い人と知り合いになれて、夜まで飲んで、素晴らしい仲間を得ることができました!
(しかも学生という身分に甘んじてほとんどお金出してません!笑
最終日の夜とか、サンライズ出雲の発車まで4件もはしごしたのに1円も出してません💦 ごちそうさまでした!)
メリットその4.めちゃくちゃ地元の人に感謝をされる
被災された方々は、もの凄く僕たちに感謝をしてくれました。
ありがとう、って何回聞いたことでしょう。
汚れてしまった家を掃除しながら、こっちの心も洗われる、ってかな~
よければご参加ください
今回僕は、green bird という、NPOを通じて申し込みました。
気になる人は調べてみてください。
↓トップページ
greenbird(グリーンバード) - ゴミ拾いボランティアのNPO
(次回のツアーに関しては、この記事出稿時では未定です。
その他、義援金の支援があります。
greenbird|西日本豪雨災害への支援について(グリーンバード事務局チームのニュース) - ゴミ拾いボランティアのNPO )
その他団体や個人でもいけるのかな?
よろしくお願いします!
以上です。
歌舞伎町:倒れこむ女性を助ける外国人観光客と、見て見ぬふりをする "Strange" なpassers-by
こんにちは!だーらです。
先日友達と飲もうということで、男2人で新宿歌舞伎町へ。
その帰りに遭遇した出来事に心動かされ、僕はまたこうしてキーボードをカタカタ。
"It's strange!"
と言っていた外国人観光客の言葉を借りて、今回の記事はこちら。
「歌舞伎町:倒れこむ女性を助ける外国人観光客と、見て見ぬふりをする "Strange" なpassers-by」
唇から出血、本人は泥酔、彼氏は電話越しに知らん顔。救急車で運ばれるまでの一部始終
土曜夜の新宿歌舞伎町。日本有数の繁華街で酒に溺れる Saturday night。
少し飲み過ぎてしまったのでしょうか、
歌舞伎町から新宿駅東口へ向かう道の途中で、倒れこんでいる女性がいました。
一瞬通り過ぎた僕たちですが、やはり気になって振り返る。
倒れる彼女に声をかけていたのは、40代くらいの外国人夫婦でした。
「倒れてる人、英語話せるのかな?」
幸いにも少しばかりの英語が話せる僕は、
何かの役に立てないかと思い女性とその夫婦に近づきます。
女性は意識はあるものの、かなりの泥酔。
立つことはできず、かろうじて僕らの介護で上体を起こす。
すると、唇から血を流していることが分かりました。
外国人夫婦の夫が、なんと doctor らしく、素早くティッシュを取り出し処置。
彼女は、おもむろにバッグからスマホを取り出し、「K」に電話を掛けようとしました。
が、自分が話すのは嫌なようで、日本語が話せる僕がなぜか「K」と話すことに💦
名前や声の年代、状況から、彼氏さんだと推測されます。
僕:あ、「K」さんですか? 今女性に代わってお電話をしています。道で倒れて、出血もしてまして…、どうしたらよいでしょうか?
K:あの、それ、アル中なんで。病院連れてってください。
僕:いや、、、そう言われましても… 彼氏さんですよね?
K:もういいんで、病院連れてってください。
この男はもはや頼りにならず。
救急車を呼ぶほどの緊迫した状況ではないと判断した僕たちと外国人夫婦は、とりあえず警察を呼ぶことにしました。
数分後、警察が到着。
本人は救急搬送は拒否していましたが、いつまでも立ち上がることはできず、埒が明かない状態。
自宅は埼京線沿いのとある駅と判明するも、自力での帰還は到底困難と思われました。
警察の判断で、救急要請。
その間、女性は複数回嘔吐。
彼氏は、電話には再び応答するものの(ここは偉いな 笑)、警察に対しても「しつこい」と対応を拒否します。
感覚的には結構長めに待った挙句、救急車が到着、女性は運ばれてゆきました。
この夫婦に学ぶ愛
僕らが、立ち止まって戻ったとき、外国人夫婦の奥さんにこう言われました。
「あなた、救急の電話番号分かる?私たち分からないの…外国人で」
(in English, of course)
もしあなたが外国にいるとして、あなたの周りにたくさんの現地人がいるとして、
道に倒れ、まだ誰もそばにいない人に対して救いの手を差し伸べることはできますか?
現地の言葉(ここでは日本語)も分からない、救急搬送の番号も分からない、そんな状況で。
それでもその夫婦は倒れていた女性を助けようとしていたのです。
女性が嘔吐をする兆候を見せたとき、
彼女はいち早くビニール袋を取り出し、女性の口に当てました。
嘔吐が手にかかるかもしれない、というためらいなど、全く感じていないかのように。
2回目の嘔吐の兆候を見せたとき、そこにはビニール袋はありませんでした。
すると彼女は立ち上がり、近くのラーメン屋へ。
僕もついて行ったところで、彼女は店員さんに
身振り手振りを添えながら、"Do you have a plastic bag?" と。
倒れた女性が申し訳なさそうに、「そーりー」というと、
”No no! It's OK! I'm your mother" とスマイル。
全てが終わった後で、僕が彼女にお礼を言ったとき、彼女が言っていた言葉が脳裏に焼き付きました。
"It's natural to help her! But people here just go by, it's strange."
(彼女を助けるのは当たり前じゃない!でも、皆ただ通りすぎるんだもの、なんなのかしら)
…Strange、か…
僕は、最初に見かけたらどうしたかな?
助けたかな…?
たしかに、「倒れている人」ともなれば、今この記事を読んでいる人の中でも、それなりに多くの人が助けるよ!と答えるかもしれません。
でも、現実には、通り過ぎてしまうことだってあるかもしれない。
現に、その女性の証言からは、そんな光景が目に浮かびました。
見知らぬ他人を助ける欧米人
欧米人というくくりで語るのはどうか、とも思われるかもしれませんが、やはりくくってよいほどの違いがあると思うので。
今回とは全く別のケースを短めに…
僕がカナダに行ったときにも、困ってる僕を突然助けてくれた現地の方がいました。
大学内のバス停を降りて、建物がどこにあるか分からずマップを見て困っていた時、
"So, where do you wanna go?” (それで、君はどこへ行きたいんだい?)
といきなり道案内をしてくれためちゃくちゃなイケメン(容姿も)がいたり。
もっと大きな話にはなりますが、
西ヨーロッパの人々は、見ず知らずの難民や庇護申請者を自宅に迎え入れているそうです。
ロンドン大学法務高等研究院の橋本直子氏によると、その理由は4つに分類でき、うち1つは
「困っている人を助けるのは当然であり、人道や博愛の精神を実践することこそヨーロッパ人である理念と誇り」
だと彼らが思っているから、だそうです。
ちなみにあと3つは
・家を追われた人々のことを「本当に気の毒だ」と思い、同情するから。
・とくにドイツで、ユダヤ人を迫害した暗い過去に対する悔恨の念と、その歴史を繰り返さないという強い決意の表れ。
・とくに子どもがいる家庭で、国際教育になると考えて。
だそうです。
人助け、おもてなし
僕、サークルで英語スピーチ活動をしていたのですが、こんなスピーチを聞いたことがあります。(僕のリスニングが正しく機能してれば)
「日本人って、お・も・て・な・し とか言うけど、本当にできてるの?
もっと困ってる外国人に対して、積極的に助けの声をかけようよ!」
カナダで僕はまさに、最高のおもてなしを受けました。
彼らは、人を助ける。
日本人は、声をかけるのをチキって、人助けをできないことが多い。
この件に関して言えば、欧米と日本の
文化・慣習の「差」
にとどまらず、
「優劣」
が表れていると思います。
僕らは、彼らよりも「劣っている」。
そんなことを感じた歓楽街、歌舞伎町での一晩でした。
最後に、おそらく彼らが読んでいると思われる聖書から、引用(長いかも?)
ルカによる福音書 10章25節から
するとそこへ、ある律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか。」
彼に言われた、「律法にはなんと書いてあるか。あなたはどう読むか。」
彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いを尽くして、主なるあなたの神を愛せよ』。また、『自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ』とあります。」
(これが神への愛と隣人愛ですね)↓続き
彼に言われた、「あなたの答は正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られる。」
すると彼は自分の立場を弁護しようと思って、イエスに言った、「では、わたしの隣り人とは誰のことですか」。
イエスが答えて言われた、「ある人がエルサレムからエリコに下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着物をはぎ取り、傷を負わせ、半殺しにしたまま、逃げ去った。するとたまたま、ひとりの祭司がその道を下ってきたが、この人を見ると、向こう側を通って行った。同様にレビ人もこの場所にさしかかってきたが、彼を見ると向こう側を通って行った。ところが、あるサマリヤ人が旅をしてこの人のところを通りかかり、彼を見て気の毒に思い、近寄ってきてその傷にオリブ油とぶどう酒とを注いで包帯をしてやり、自分の家畜に乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。翌日、デナリ(注:コインのこと)2つを取り出して宿屋の主人に手渡し、『この人を見てやってください。費用が余計にかかったら、帰りがけに、わたしが支払います』と言った。この3人のうち、誰が強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか。」
彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。
そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。
↑フランチェスコ・バッサーノ・ザ・ヤンガー作
ふむふむ。(タイピング疲れた…)
以上です。
「赤ちゃんが乗ってます」を科学する ……「大学生が乗ってます」ではどうか
こんにちは!だーらです。
もっと人生に関わる本質的なことを書こうと思ってたブログなのに、
気づくとツイッターみたいにネタに走ってしまう…
「読む人に、少しでも何か与えられたら」
という、極めて達成確率の高い目標も叶わない記事となっております。
そんな今回はこちら!
「赤ちゃんが乗ってます」を科学する ……「大学生が乗ってます」ではどうか
偉いお兄ちゃんは気づく
僕、偉いお兄ちゃんなので、たまに妹の塾の迎えに行きます。
(偉くないです。これは義務です。教習所代を出してもらった僕は、未来永劫マイファミリーの送り迎えをする呪縛を掛けられています。)
前を走る車のリアガラスに貼られていたこちらのステッカー↓↓
運転をしながらこのシールを見たとき、今までにない神経の使い方を経験しました。
「車間距離を普段より取った方がいいのかな…?」
「より前の車に注意を払おう。」
ぶ~~~ん…
・・・うん??
確かに安全運転をするのは良いことではあるけれど、
赤ちゃんが乗っている⇒安全運転をしなければならない
の間には、論理の飛躍がある気がします。
マークに込められた2つの意味
家に帰って家族で話し合った結果、このマークには2つの役割があることが分かりました。
- 赤ちゃんが乗っている車の運転手自身の精神的負担を軽くする。
- 後ろの車の運転手に注意喚起をし、安全運転をさせる。
話し合った結果、このマークの役割はおよそ 1 であることで議論は落ち着きました。
「赤ちゃん乗ってるんで、安全運転しますよ~
もし遅かったら追い越してくださいな。」
みたいな。
それは、こちらのマークからも良く分かります。倒置法ですな。
丁度、試験勉強してこなかったやつが、
「ムリやわ~、マジでおれ全然できひん、お前ら優やろどうせ」
というのと同じかと思います。
しかし僕はその時は運転手。
自分中心でしか世の中を見られない貧しい心の持ち主は、
なぜこのマークによって僕の注意が喚起され、安全運転をしようと思うのか
運転手目線で考え始めます。
僕が安全運転をしようと思う理由候補①
まず、「赤ちゃんが乗ってます」のステッカーをつけるに至った経緯を考えます。
ある日、一組の男女が映画を見に出かけます。そのあと、ディナーを食べて、映画の感想を語り合う。夜景を見る。プロポーズをする。
夫婦水入らずの時間を過ごして数年。
「そろそろあなた、どうする?」
となってきたところで、第一子が誕生するのです。
↓イメージ
リア充じゃないか!!
そう、このマークは、
「私たちリア充です!! ですけど何か???」
と訴えているのです!!!(違います)
ちなみにこの画像は、「幸せな家族」で画像検索して出てきたものです。
これでは、後ろの運転手に安全運転をさせるどころか、爆発を狙って突入してきてしまいますぞ!!!💦💦
僕が安全運転をしようと思う理由候補②
上記理由①は茶番だとして、やはり安全運転をしようと思う理由は、
赤ちゃんは弱く、守るべき対象だから
だと思います。
弱く、守るべき something が前の車に乗っているから、後ろを運転する僕は注意を払う。
いや、でも果たしてそれは本当に正しいのでしょうか??
確かに赤ちゃんの体は成人と比べると弱いでしょう。各種臓器や骨も未発達です。
しかし、後ろの車に突っ込まれるという事態において、成人と赤ちゃんとで身体的強度に有意な差は表れるのでしょうか?
そこで仮に、赤ちゃんと成人の体の強さの差を無視することとします。
それでも僕たちは赤ちゃんを守ります。大切に扱います。赤ちゃんを愛します。
何故でしょうか?
↓僕です。確かにかわいい💛
人間が赤ちゃんを「かわいい」と思う科学的理由
動物行動学者コンラート=ローレンツによると、大人が赤ちゃんをかわいいと感じるのは
進化の過程で身につけた反応
だそうです。
誕生後すぐ1人では生きられない赤ちゃんは、大人による愛情行動によって成長することができ、人間はその働きによって種を反映させてきました。
ちなみに、赤ちゃんの形態的・行動的特徴をベビーシェマと呼び、ベビーシェマによって大人は赤ちゃんに魅了されます。
ベビーシェマの例:
・体に対する頭の大きさの割合が大きい
・目が大きくて丸くて顔の低い位置にある
・体がふっくらしていて手足が短くずんぐりしている
・動作がぎこちない
実際に赤ちゃんを見なくても、
「赤ちゃん」という字面を見ただけで、「赤ちゃん」という概念を考えただけで、
僕たちは、大切にしなければならない、という衝動にかられます。
愛し、大切に扱うべきものの「シンボル」としての機能
が、「赤ちゃん」という概念、言葉にくっついています。
赤ちゃんだけが大切にしないといけないものなのか?
人間が本能的に赤ちゃんを大切にしようと思うことが分かりました。
では、本能や感情を除いて、論理的に考えるとどうでしょうか?
例えば、
「大学生が乗ってます」
ではどうでしょうか?
馬鹿みたいですね笑笑
でも、そんな簡単には否定できないみたいな??
赤ちゃんには、無限大(に近い)可能性があります。孫正義になる可能性もあるし、小梅太夫になる可能性もあるし、15歳で死ぬ可能性もあります。
まだ、余りお金をかけていません。今死んでしまっても、損失は少ない、とみることだってできます。
大学生は、ある程度将来の選択肢も狭まり、良くも悪くも将来の価値(これは一軸ではない)が推測できます。
加えて、大学生まで育て上げるための食費、医療費、教育費、様々なお金が既に使用されています。死んでしまっては、赤ちゃんと比べて何倍ものお金が無駄に(無駄ではないという想いもあり)なります。
さあ、これは究極の選択ではないですか?
どちらかを殺さざるを得ないとしたら…
辛いので、母親に相談してみました。
すると、思いもよらない答えが返ってきました。
「優秀な大学生なら生かせばいいんじゃない??
そうでなければ赤ちゃんだね~」
なんと!!優生思想・・・?
そしたら「東○生が乗ってます」とかはどudar.//;p,&"(#
そろそろやめましょう。このマーク、案外恐ろしい問いを人類に投げかけているようです。
ついでに言うと、2つの役割の 1 の方(赤ちゃんが乗っている車の運転手自身の精神的負担を軽くする)
に関しても、ゆっくり安全運転をすることが伝わればいいので、
「酔いやすい人が乗ってます」
とか、
「中で線香花火やってます」
でもいい気がしてきますね。
最後に、、、
「赤ちゃん乗ってます」のオモシロ画像
記事作成時に検索した画像の中で、いくつか面白いものがあったので、それでお別れします。
以上です!!