「1人」を見つめる ~大阪北部地震で亡くなった9歳の少女に思いを寄せて~
こんにちは!だーらです。
1週間と少し前、6月18日月曜日、朝7時58分、みなさんは何をしていたでしょうか。
僕は、…寝ていましたzzz
月曜日は2限からなので。笑
丁度その時、遠く離れた一本の道で、9歳の少女の命が奪われました。
本日のテーマは
「『1人』を見つめる ~大阪北部地震で亡くなった9歳の少女に思いを寄せて~」
です。
死者数は、5人
大都市大阪を襲ったこの地震は、日本中で大々的に取り上げられました。
今回は少しだけ、特徴的なことがありました。
熊本地震(2016、死者数200人以上)、
東日本大震災(2011、死者数1万5千人以上)、
新潟県中越地震(2004、死者数68人)、
阪神淡路大震災(1995、死者数6434人)、
これら、多くの死者数を出した震災とは異なり、
今回の地震での死者は
5人
でした。
新聞報道を見て
僕は毎朝、池袋から本郷三丁目に向かう電車の中で、
スマホアプリで新聞を読むようにしています。
通勤ラッシュに当たり、満員電車の中でマグロの様に突っ立ちながら、
スマホを顔面から至近距離に持って、記事に目を通しました。
はぁ~火曜は1限からか…つらいな~とか思いながらね。
記事の見出しは、
大阪北部 震度6弱 4人死亡 けが300人超
(火曜朝時点では、死者数はまだ4人でした。)
読み進めていくうちに、こんな文章に当たりました。(文章・画像は朝日新聞より)
大阪府災害対策本部などによると、高槻市で市立寿栄小学校のプールブロック塀が倒れ、4年生の三宅璃奈(みやけりな)さん(9)が下敷きになり死亡。市教育委員会は、この塀は高さが2.2mを超え、補強のための「控え壁」がなく建築基準法に違反していると明らかにした。…
この後に、他の死者3人が、実名とともに記述されてゆきます。
無味乾燥なこの文章。
しかし、9歳のその少女や、両親の姿を思い浮かべたとき、
僕は不覚にも、満員電車の中で涙を流すことを禁じ得ませんでした。
いやまあ自分でもびっくりしましたわ…
キモイですよね、満員電車の中で、涙こぼす人いたら(笑)
かけがえのない娘であったはずだ。
みなさんも、目を閉じて、その少女や両親の姿を想像しながら、
文を読んでいってください。
…ムリか、(笑)
僕がまず思い浮かんだのは、小学校の入学式でした。
桜の舞い散る正門前で、親子3人、かな?、で写真を撮る。
…生まれたときから、この親子はどんな思い出を作ってきたのだろう。
璃奈、と名付けた娘が、初めて病院から家に来た日のこと。
はいはいをしている娘を、名前を呼び掛けながら、ホームビデオに収めたこと。
仕事で疲れたお父さんが休日を返上して、親子でピクニックに行ったこと。
まだ友達と遊び足りない娘を、いたたまれない思いで友達から引き離し、家まで歩いた、保育園からの帰り道。
そして、小学校の入学式。
ピンク色のランドセルを背負ったわが子が、どれだけ愛らしく、両親にとっての希望で、宝物だったことか。
よくある描写ではありますが、
その日も、普段となんら変わらずに、わが子を「行ってらっしゃい」と送り出したことでしょう。
そして、地面は揺れ、基準を満たしていないブロック塀が倒れ、娘は圧死してしまいました。
数字に吸収される1人1人の物語
普段のニュースを見ていると、人は、マクロな数字の中に吸収されてゆきます。
特に、災害の犠牲者の場合はそう。
たいていの場合、短いニュースや記事の中で、
個人個人は注目されません。
私たち読者・視聴者は、
情報として死者数を知り、左脳で被害の大きさを理解
しています。
それは、仕方のないことです。
情報量があまりにも多すぎるとき、何らかの形で、それらを発信・吸収可能な大きさに縮小しなければならない。
その手段として、「数字」というものは有効です。
でも、それだけではいけないのでは、と今回強く思いました。
「1人」が抱える物語は、数字よりも多くを語る
ことがあるのではないかと。
僕は、震災の悲惨さを、この少女の物語を想像することで、
強く感じたのです。
「1人」を見つめる
現象を理解しようとするとき、マクロなものの見方だけをすると、
人間味の無い発言や、実情に即さない提案をしてしまったりするのかなと思います。
もちろん、毎回毎回の火災のニュースや事件の際に
感情移入していたら、身が持ちません。
日本中の塩分が、ティッシュに吸収されてしまいそう(笑)
けど、例えば
戦争のことを考えるとき
戦死者の人数だけではなく、戦いに行って帰ってこなかった、おじいちゃんのお父さんの物語を聞く、
などは大事なことだと思います。
ビジネスを考えるとき、
「カスタマージャーニーマップ」
というものを作ることがあります。
これは、顧客の一連の行動や思考、感情、課題を、時系列に沿って書きだしたものです。
これも(架空のではありますが)、「1人」を見つめること、です。
大きな枠も大事だけど、結局僕たちは個人の集合の世界を生きている。
そこに目を向けないのは、ナンセンス、なのかな。
それぞれが持つ物語を大切にする、
「1人」を見つめる
ことが、大事だと感じた、今日この頃でございました。
以上です!
ちょっと重い話を最後まで読んでくれて、ありがとう。
さあ、このブログ公開したら、僕も石橋杏奈をGoogle画像で見つめるぞ~~(違うか💦)